1956年 鳥取県米子市生まれ 3歳から13歳まで筝曲
中学生からバスケット部に入部
高校生のとき、国体西部地区選抜選手に選ばれる
県立西高校普通科卒業、県立東高校専攻科修了
1976年 都立大学(現「首都大学東京」)経済学部卒業
1976年 日本共産党に入党
1989年 小金井市議会議員選挙に初当選 8期連続当選 市議30年(2019年11月まで)
小金井市議会初の女性議長(2003年~2005年)に選出され、議会基本条例の制定などに貢献
2019年11月 新たな市長選に出馬のため議員辞職
2021年3月 小金井市議会議員選挙に再出馬。4位2063票で当選。
森戸よう子のおいたち
【明るい活発な子】
森戸よう子市議は、1956年鳥取県米子市に生まれました。3歳から、日本の古典楽器である「琴」を習う一方、スキーや水泳も大好きという活発な子でした。
中学校ではバスケット部のキャプテンとしてチームをリードしてきました。
米子西高では、国体鳥取県予選西部地区選抜選手にも選ばれました。森戸市議の粘り強さと精神力はスポーツを通してつくられました。
高校生の時、日本民主青年同盟に入り、原水爆禁止世界大会に参加。アメリカのベトナム侵略反対の運動の中で、「平和こそ豊かな社会の原点」だと知りました。
【働く者が幸せになれる社会に】
1976年、都立大学経済学部経済学科に入学し、経済や社会の仕組みを学ぶ中で、働く者が幸せになれる社会を願って日本共産党に入りました。
同大学の1年先輩の現在の夫・文男さんと知り合ったのもこのころです。
1980年、卒業とともに、民青同盟東京都委員会の常任となり、青年の要求実現の運動に取り組んできました。
【身近な願い実現の必要性を痛感】
1984年、森戸文男さんと結婚し、小金井に新居を定めました。森戸市議は、新日本婦人の会に入り、会員さんのお子さんたちの勉強教室を開きました。
長女が生まれ、新婦人の会の子育てグループをつくり、育児や食品公害、手作り料理など学び合いました。
またある日、公園にトイレを設置してもらえないか、と市役所に要求すると、市役所からは、「設置にはお金がかかるので、家でさせてください」と言われ、市民の立場に立った市役所になっていないと思いました。
身近な願いを実現するために、声を上げなければならないと痛感しました。
【市政に新風】
1989年3月に小金井市議会議員に初当選。その後、長男を出産。小金井市議会では初めて産休を取った女性議員でした。
そして若いお母さんたちの願い実現に全力をあげ、市政に新風を巻き起こしました。高齢者や障がい者の良き相談相手として信頼を集めています。
市議会議員に初当選してから28年間、東小金井駅南口での朝の宣伝を継続して行ってきました。
先日も都市計画道路の運動の中で、子育てパパから「僕は、森戸さんを小学生の通学の時から見ていました」と。継続する粘り強さが多くの市民からの信頼される理由です。
森戸よう子市議のモットーは、「あきらめない」、「いつも市民のみなさんとともに」、「市民の声を大切に」です。
今、安倍政権が戦争法を強行し、憲法まで改悪し、社会保障を切り捨てようとしている中で、皆さんとともに政治を転換させるために、全力をつくすと決意しています。
いつも市民のみなさんとともに
2016年3月市議選時に作成したものです。森戸よう子のプロフィールの一端を紹介します。
中学時代はバスケット部キ
ャプテンとして活動。
1956年(昭和31年)鳥取県米子市で生まれる。3人兄弟の2番目の長女。
写真は兄と。
1期目の時の励ますつどい。
予定候補として決意した1988年以来、28年間東小金井駅で、早朝の宣伝を継続しています。
他会派と共同し、情報公開条例の修正案を提案。市議会委員会で質問に答える森戸市議。
阪神淡路大震災後、地域の皆さんと防災井戸など小金井市にも説明していただき、ともにチェック。
集団的自衛権行使容認に反対する市議会各議員とともに共同の宣伝。