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安倍9条改憲NO! 戦争について考える 小金井にあった陸軍技術研究所について

 安倍首相が憲法9条を変えようとしている中、私たちは戦争について考えてみなければなりません。

 今年2月、稲穂神社から南に下った付近(本町5丁目)の境界敷地に「陸軍」と書いた境界石杭があり、文化財としての保存を求めるという陳情書が市民から提出されました。 

 陳情の審査で、市教育委員会は「文化財として既に別の境界石が文化財センターに保存されているが、指摘のあったものは指定されていない」、「小金井市文化財保護審議会に諮問し、文化財としての指定と保護の方法を検討する」と答弁。市議会は趣旨採択しました。(写真①、② 小金井市文化財センター所蔵)

 市民の陳情書をきっかけに小金井市内の戦跡の一つである陸軍技術研究所について調べました。忙しい中での拙い私の調査です。間違ったところがあればご指摘をいただきたいと思います。

 この境界石杭は、1940年代のころ、当時の小金井町に設立された「陸軍技術研究所」のものです。同研究所の広さは、175ha.当時、町民から強制的に買収し、つくられたようです。

 今は跡かたもありませんが、市営グランドの旧管理棟は、技術研究所の時の建物でした。今は、老朽化により、取り壊されてしまいました。東は第2小学校、市営グランド付近から、西は通信総合研究所のあたり、北は小平市のあたりまでの広大な施設だったようです。(写真③参照)

 小金井では爆破用火薬、兵器材料、1943年には第9研究所(登戸研究所)などの電波研究部門が統合され、多摩技術研究所が設立されました。2000人近くが、研究に携わっていたことがわかっています。

 陸軍技術研究所と言えば、第6研究所(新宿区百人町)の化学兵器研究や、第9研究所(神奈川県登戸)の生物化学兵器等の研究が行われていたことが知られています。

 当時日本は、1936年に中国侵略、1941年12月8日真珠湾攻撃を行い、東南アジアを中心に侵略しました。

 まさに、この中で陸軍技術研究所が設立され、小金井の地で戦績をあげるために研究が行われていたのでしょう。ここでの研究署が果たした役割は大きかったのではないでしょうか。そんな歴史が小金井の町にあったことを私たちは忘れてはなりません。

 (出典:小金井市史、国立公文書館アジア歴史資料センター資料等、参照)。

①市民から指摘があった境界石杭(市民から陳情書が提出されて以降、誰かが傷つけたのか、境界石がわからない状況になっています)。文化財センターにはっきりとしたものが写真として残っているので、紹介します。

②文化財センターに保管されている境界石杭

③文化財センターに展示されている陸軍技術研究所の位置

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